自社発注車で、1992年に投入された、
U-代では唯一の中型車です。
11J・12Jとは3年のブランクがあり、
外観の変化は殆どないものの内装は大幅に変化しました。
内張りは白褐色一色のものへと改められており、
床はこれまでの木床から褐色の床材張りへと変わり、
近代的な印象へと生まれ変わっています。
床材は、非常口側後方四列の二人掛け座席部分が、
割タイル調の模様が彫り込まれたものとなっている他は
ブロック調の滑り止めの模様付きとなっています
また、通路部分は濃灰色の平滑な床材となっていますが、
これは後から貼られたものだと思われます。
また、茨交の同型車との差異の一つであった、
前扉直後の保護網がこの車から無くなり、
車内がすっきりとした雰囲気になりました。
ただし、座席表皮は21J・22Jと同種のものが
引き続き採用されています。
しかし、内装以外の変化はごく僅かで、
前面の系統番号サボの位置が変更されたことと、
サイドミラーの塗装が変更されたことが、
確認できる程度で、大した差異はありません。
オートではこの41Jの投入以降は、
2003年の152J投入まで中型車の増備は途絶え、
10年以上も中型車は投入されないままとなりました。
恐らく、K-RJ172AAとP-RJ172BAを大量に投入したため、
中型車が一定数に達していたからだと推察されますが、
現在、大型車と中型車とで運用が分けられることは殆ど無く、
この辺りは不思議に感じるところです。