宮崎交通」カテゴリーアーカイブ

宮崎交通 宮崎22あ・628


宮崎交通 宮崎22あ・628/P-MS725N

1985年式ですが、経年を感じさせない美しい姿です。
貸切転用車で、その関係でLED行先表示機となっています。
最後部の側面窓が、生え抜きの路線車が固定窓なのに対し、
こちらは引き違い式のメトロ窓となっているのも特徴です。
この時期の宮交のエアロバスMの貸切車では、
どうやら一般的な仕様のようですが、
このような仕様はあまり見掛けないですね。

主に特急あそ号・たかちほ号・わかあゆ号で使用される他、
間合いで、延岡―宮野浦や延岡―黒内など、
郊外へ向う一般路線にも使用されます。

高千穂鉄道の高千穂駅が、建設が比較的遅かったためか、
中心市街地からやや離れた位置にあるのに対し、
高千穂バスターミナルは写真のように、
市街地のまさに中心部にあり、伝統を感じさせます。
しかし、周囲の道も、またバスターミナル自体も、
なかなか狭隘となっていて、いくらN尺とはいえども、
このようにサイズの大きな車だと苦労しそうです。

宮崎交通 宮崎200か・210


宮崎交通 宮崎200か・210/いすゞPA-LR234J1+J-BUS(ERGAmio)

高千穂鉄道の代替バスとして活躍する中型車で
写真のJ-BUS製車体のほか、西工製車体の車も
宮交には在籍しています。
もともと中型車を一般路線車の主力に据えて、
以前より投入し続けていた宮交では、
高千穂鉄道の代替バスも当然中型車が活躍していますが、
特に旧道経由は途中狭隘区間が続くとはいえ、
これで対応できる輸送力だと思うと寂しいです。

この旧道経由は五ヶ瀬川の渓谷に沿って走るため、
写真の日之影温泉駅のように台風等の被害を受けやすく、
この旧道区間の一部も現在がけ崩れによって、
通行止めとなっていて迂回を強いられています。

高千穂鉄道は、末期にトロッコ神楽号が登場し、
人気を集めて、観光利用客が倍増したとはいえ、
赤字は増大し続け、沿線自治体の負担も大きかったようで、
やはり第三セクター方式での存続は難しかったようです。

確かに第三セクター方式への転換で成功した鉄道も、
甘木鉄道など、あるといえばあるのですが、
その多くが、取締役を沿線自治体の首長が務めるなど、
結局は行政主導で運行を続けていて、
車両の更新や駅の新設などハード面は、
目にはっきりとつくぐらいに、改善されても、
ダイヤやランニングコストなどソフト面は、
国鉄時代と何ら変わりがない、そのような状況では、
結果的に、廃止を先延ばしにしたに過ぎなかった、と
結論づけられても仕方がない気がします。
地元から案外冷ややかな目が向けられていたのも、
そうした状況を見据えてのことかもしれません。

私は、公共交通が空白に近い山奥に育ったので、
公共交通の大切さと共に、公共交通の限界もまた、
一方では、理解しているつもりではあります。
ぜひ、公共交通に恵まれた都会の人にも、
綺麗事や感情論ではなく、地域住民の意向や負担も考えて、
公共交通なりモビリティなりを論じてほしいかなと、
田舎者の私は思います。

宮崎交通 宮城200か・181


宮崎交通 宮城200か・181/日産ディーゼルPB-RM360GAN+西日本車体工業(96MC)

日産ディーゼル製ながら、新短期規制に適合するべく、
日野製の直列5気筒インタークーラーターボ付エンジンを搭載した
モデルで乗降口側後部の開口部が特徴です。

宮交では、同じ96MCを架装した、
いすゞPA-LR234J1も在籍していますが、
そちらが乗降口側最後部の側面窓が、
固定窓なのに対し、こちらは開閉可能となっているのも
相違点となっています。

写真の南延岡―高千穂線は、先ごろ廃止となった、
高千穂鉄道の代替バスとしての機能をもっていますが、
もっぱら、このような中型車が使用されており、
このサイズでも事足りてしまうというのは少々寂しいです。
高森までの延伸が叶っていたらのならば、
また違った展開があったのかもしれませんが。

座席カバーや横引きカーテンがいい味を出していますね。